現在、年間約170万人もの方が訪れるようになった沼津港。活気ある今の景色からは想像もつきませんが、かつては潮風の中に魚の匂いだけが漂う、静かな「ネコと魚しかいない街」でした。
1913年の開港以来、幾多の荒波を越えてきたこの街の歴史を紐解くと、そこにはいつの時代も、将来を見据えて奔走した人たちのひたむきな営みがありました。
今の沼津港の景色は、決して自然に出来上がったものではありません。例えば、港の中を走る「くねくねとした一方通行の道路(歩車共有道路)」もその一つです。整備された当時は、県内外から魚を積んだ10トントラックが激しく行き交う場所でしたから、この形にすることへの批判も多くありました。それでも、当時この街の未来を真剣に考え、最前線で牽引されていた諸先輩方が、将来の港の賑わいを信じて精力的に尽力してくださいました。今となっては、あの時の英断があったからこそ、大勢のお客様が安心して歩ける今の沼津港があるのだと、感謝の念に堪えません。
こうした話は、この道路に限ったことではありません。街のいたるところに、当時の誰かが悩み、踏ん張り、未来のために繋いでくれた「仕事の跡」が残っています。私たちが今こうして商売をさせていただけているのは、そうした方々が流してくれた汗の上に立っているからなのだと、改めて実感しています。
そうした先人たちへの敬意を込めながら、私自身の記憶にある懐かしいお店の歩みを辿り、沼津港が経験してきた激動の30年と、これから共に歩んでいく未来について綴りたいと思います。

沼津港で生まれ育ち、家業の魚問屋、飲食、小売店と向き合ってきましたが、2022年に一つの大きな節目を迎えました。あれから4年。今、改めてこの街の風景を見つめています。
「どうして、そこまでこの街のために動くのか」
そう聞かれることもあります。1991年、20歳の時に直面した30億円という負債。その重圧の中で、先代たちが繋いできたこの街の灯を自分の代で消すわけにはいかない。その一心で走り続けてきた。
沼津港は、商売の厳しさと、それ以上に大切なことを教えてくれた場所です。私が向き合ってきたこの軌跡が、これからを生きる仲間たちにとって、何かの手がかりになればと願っています。
【第1章】借金30億円とバブルの崩壊。無我夢中で作った「沼津港ブランド」
私が20歳だった1991年。家業と共に背負ったのは、30億円という途方もない負債でした。代々続く魚問屋として商いをしていましたが、父の代で飲食業にも取り組み、その飲食業がバブル崩壊の影響を大きく受けました。当時の沼津港には観光客の姿はなく、どうすれば生き残れるのか、そればかりを考える日々でした。
まずはこの港に人を呼ぶことが先決だと考え、小売業にも力を入れ、メディアへの情報発信を続けました。その積み重ねの中で、仲間とともに現在の「ぬまづみなと商店街」の形をつくり、観光で訪れる方々にも楽しんでいただける港へと育ててきたように思います。
しかし、沼津港だけでできることには限界がありました。街を動かすには、沼津市全体、そして静岡県全体で動く必要があると考え、沼津市にフィルムコミッションを創設。さらに静岡県全体でのネットワーク作りや、中心市街地活性化協議会(TMOぬまづ)への参画、沼津駅周辺の商店街支援にも携わってきました。
こうした「街としての受け皿」を地道に整えてきたことが、後に『ラブライブ!サンシャイン!!』の舞台誘致という形に繋がり、今の大きな賑わいという結果を生んでくれたのだと感じています。

【第2章】街は生き物。去っていく店への感謝と、新しい賑わいへの期待
かつて沼津港にあった実家の魚問屋や、飲食店なども、時代の流れやコロナ禍を経てその役目を終えました。今では「旬彩街」をはじめとする新しい店舗へと生まれ変わっています。
店や担い手が入れ替わることは、街が健全に生きている何よりの証拠です。魚問屋が飲食店や土産店へと業態を変えていった歴史と同じように、担い手が変わることで、街は常に最新の状態へと更新されます。
時代に合わせて姿を変え続けてきたからこそ、今の沼津港の賑わいがある。この絶え間ない新陳代謝こそが、今の活気を支える最大のエネルギーなのだと確信しています。


【第3章】形が変わる中で見つけた、この場所に宿る「思い」
30年前のバブル崩壊、そして近年のコロナ禍。幾多の荒波の中で、守るべき形を変え、次なる役割を模索し続けてきました。かつての拠点が新たな担い手によって活気溢れる店舗へと生まれ変わり、大勢のお客様を迎えているのを見ると、「バトンは次へと渡され、街の歩みは止まっていないのだ」と勇気づけられる思いです。
30年、50年という長い歳月で見れば、形を変えずに残り続けるものはほとんどありません。人も、商売も、建物も、時代とともに役割を変えていくのが自然な姿なのだと、自分自身の経験からも実感しています。
だからこそ、変化をただ恐れるのではなく、その中で何を大切に引き継ぎ、次の世代にどんなバトンを渡せるのかを、常に考え続けていたいと思っています。


【第4章】年間170万人から500万人へ。今の賑わいに安住せず、共に先を見たい
現在、沼津港の年間来客数は約170万人。さらに上を目指して、「年間500万人」という目標を掲げる仲間も現れています。
私はその志に共鳴し、商店街の中でも働きかけを行ってきました。もちろん「今のままでいい」という慎重な意見もあり、その葛藤に悩んだ時期もありました。
ですが、今の賑わいに満足して立ち止まってしまえば、いつかまた、かつての静かすぎる港に戻ってしまうのではないか。そんな危機感がありました。
そこで、港の魅力を外へ発信し続けるために、沼津港でのロケ誘致に力を注ぎました。現場のスタッフの協力もあり、2025年だけで40本のロケを実現できました。同じ思いで動いてくれる仲間が少しずつ増えていることを、心強く感じています。


【第5章】次世代のために、今私たちが考えられること
昔のお店一覧を振り返ると、どれだけ多くの店が入れ替わってきたかが分かります。
かつての私たちがそうだったように、今ここで商売をしている私たちも、20年後、30年後のこの街の姿を想像しながら、今できることを精一杯やる必要があるのではないか。そう自分自身に問いかけています。
自分の店のことだけでなく、沼津港全体の未来を一緒に考え、汗を流せる仲間がもっと増えてほしい。そんな願いがあります。
過去の歴史を大切にしながら、未来の500万人に向けて一歩ずつ歩んでいける。そんな関係を、これからも皆さんと築いていければ嬉しいです。


【第6章】沼津港の歴史は、まだ途中にある
沼津港の歴史は、1913年の魚市場、1945年の移転、1991年の転換期、そして現在の観光地化へとつながってきました。
魚問屋の町から、飲食店・土産店の町へ。
BtoBからBtoCへ。
働く港から、訪れる港へ。
沼津港は、魚問屋の町から、訪れる人のための町へと、時代ごとにその姿を大きく変えてきました。
そして今、年間170万人から500万人を目指す新しい段階に入ろうとしています。
昔あった店を振り返るのは、ただ懐かしむためではありません。先人たちの挑戦があったからこそ今があることを知り、それをこれからの行動に繋げたいからです。
店も人も入れ替わりますが、この場所で続いてきた「より良い街にしたい」という挑戦の歴史は、必ず次へ繋いでいけると信じています。
30年後、50年後の子供たちがこの街を誇りに思えるかどうか。それは、今の私たちの向き合い方にかかっているのだと感じています。
【第7章】かつて沼津港の歴史を彩ったお店たち
今ある風景も、いつかは「昔」になります。その変化こそが街の命そのものです。
沼津港の歴史を次の世代へ残していきたいという想いを込めて、かつてこの場所にあったお店を記録に残します。
「ぬまづみなとマップ」の原点|街の記録を未来へ繋ぐために
このリストは、私が2014年以前に作成した調査に基づいています。当時はまだマップもなく、「今のこの街を記録しておかなければ」という一心で作成したものです。
ぬまづみなとまっぷ 沼津港 2026年6月最新版(本日6/16公開)
ぬまづみなとまっぷ 沼津港 2024年12月最新版
ぬまづみなとまっぷ 2024年2月旧版
その時の想いが、現在の「ぬまづみなとマップ」へと繋がりました。
リストの中には、すでに閉店した店もあれば、今も変わらず街を支えている老舗もあります。
こうしたお店の数々が、沼津港の歴史を作ってきた証人です。後継者不足などの課題を抱える店もありますが、こうした記録を通じて、少しでも街の歴史を応援し、次へと繋ぐきっかけになれば幸いです。
沼津港 店舗アーカイブ(作成時の原簿より)
| 店名 | ジャンル・取扱品目 |
|---|---|
| しぶき | 海鮮バイキング |
| ふみ野 | お食事処 / 海鮮鉄板焼・釜飯・喫茶 |
| 松福 | ラーメン |
| 魚がし鮨 港店 | 寿司 |
| にし与 | とんかつ・さしみ |
| かもめ丸 | 地魚寿司と各種定食 / 漁師料理・いろり焼 |
| 居酒屋千本一 | 各種定食 / 和食・カラオケ |
| さかなや千本一 | 魚河岸割烹 / 鮮魚和食 |
| 魚河岸丸天 | 魚料理 / 天ぷら・フライ |
| 武田丸 | 漁師寿司 |
| なな輝 | 寿司・しゃぶしゃぶ |
| 一力食堂 | 定食・魚料理 |
| GEKKA | 寿司ダイニング・BAR |
| 磯はる | いわし料理 |
| スパーゴ | スパゲティ・ハンバーグ |
| ラーメンかねこ | ラーメン |
| 素顔 | 定食・魚料理 |
| ずう | 各種定食 / カレー・和食 |
| 双葉寿司 | 寿司 |
| むすび屋 | 和定食 / 和食 |
| 鮨文 | 寿司 |
| 博雅亭 | そば |
| 京屋 | どんぶり |
| さいとう | 寿司 |
| どんむす | 各種定食 |
| 梅や | うなぎ・天ぷら |
| 海賊亭 | ジャパニーズレストラン |
| コーヒータロー | 喫茶 |
| 山なし | そば・うどん・丼物 |
| たか嶋 | 寿司・天ぷら |
| めし番 | 和食 |
| 豊亭 | 唐揚げ |
| はやかわ | 喫茶 |
| 海王 | お食事処 |
| さいとう(本店) | 寿司 |
| やま平 | 魚料理・天ぷら |
| 古川 | 寿司 |
| せきの | 和食・ラーメン |
| まきじ | 旬彩 |
| あじや | ひもの定食 |
| 芹沢パッケージ | 包装資材・調理器具・包装用品 |
| カネキン | ひもの |
| 伊豆海屋 | 銘菓・民芸品 |
| サスヨ海産市場 | ひもの・鮮魚・海産物 |
| まぐろの魚栄 | まぐろ |
| ぬまづ 湊いち | 釜めし・銘菓・土産 |
| 八丁水産 | まぐろ |
| するが水産 | 魚介販売 |
| 伊藤水産(伊東水産) | ひもの |
| 高橋食品 | 玉子焼き |
| 猛士水産 | ひもの |
| サカシゲ | 海産物・ねり製品 |
| 駿洋 | ひもの・魚介類 |
| 三友水産 | ひもの・魚介類 |
| 我入道漁協水産物展示販売所 | 塩干物・鮮魚・冷凍魚介類 |
| ちどりひものセンター | 海上運送業・みやげ |
| 奥田物産 | ねり製品・塩辛・海産物 |
| 山武 港店 | 冷凍珍味・塩干物・切り身 |
| 魚健 | 珍味・ひもの・鮮魚 |
| 三橋 | そば |
| 海幸 | 海鮮料理・ひもの |
| 太郎左衛門 | 喫茶 |
| マリンブルー | 喫茶 |
| 多津家 | 中華 |
| みちしお | 喫茶 |
| 魚魚丸別館 | 漁師料理 |
| ペンギンハウス | 喫茶・スナック |
| 大連 | ラーメン |
| 焼肉道場 | 焼肉 |
| あまぎ | スナック |
| ウイング | スナック |
| 若駒 | 江戸前寿司 |
| ホビース港店 | ファーストフード |
| ジャポネーゼ | ワインバー |
| 潮 | 喫茶・軽食 |
| ベラミ | スナック |
| マルミツ港店 | かに・えび卸 |
| 杉山商店 | 乾物卸 |
| 京丸鰻 | うなぎ卸 |
| 加藤折箱店 | 包装容器 |
| 山ちゃん | 寿司だね卸 |
| マルア商店 | 魚介類卸 |
| 羽野水産 | ひもの |
| いなば | 海産物卸 |
| マルヨ渡辺商店 | 塩干物 |
| サントラ水産 | 鮮魚・冷凍・魚介類・ひもの |
| 駿洋販売所 | 冷凍・塩干物 |
| ダイノブ水産 | 塩干・冷凍物・魚卵 |
| 平好水産 | 切身製造販売 |
| カクイチ | 鮮魚・活魚・ひもの・煉製品 |
| ヒラガキ | 食料品卸 |
| いの字商店 | 海産物・煉製品 |
| 港ミートセンター | 肉・加工品 |
| 山六水産 | 活魚・貝類 |
| 山泉水産 | 海産物 |
| すぎやま商店 | 玉子焼・鶏卵 |
| 岡三 | 鮮魚卸 |
| 藪北園 | 銘茶・海苔・椎茸 |
| 江尻水産 | まぐろ |
| 山一商店 | 魚卵・鮭鱒・珍味 |
| 青木商店 | 青果物 |
| 佐政水産 | 水産物卸 |
| 室伏総菜屋 | 揚物専門店 |
| 沼津魚市場 | 市場 |
| 千島ひものセンター | ひもの・観光みやげ |
| 沼津海産物ひものセンター | ひもの・観光みやげ |
| 伊豆箱根鉄道沼津港売店 | 観光みやげ |
| 県水通商魚河岸店 | 活魚・水産加工物・冷凍物 |
| こうわんの薬局 | 薬・雑貨・保険調剤 |
| マルヤ水産 | 鮮魚・塩干 |
| 内野商店 | 鮮魚・冷凍魚・海産物 |


